親の自分史メモを見て思うこと

以前、自分史講座の添削をしていたことがあって、父にも自分史を書くことを勧めていました。戦争体験を知りたいという気持ちもあってのことでしたが、戦時中の一時期のことを書いた短いものを見せられて、少し手直しして、友人知人に見てもらったことがあります。

父の遺品整理をしていて、他にも書いたものを見つけていたのですが、癖のある字で、しかも略字が多くて読みにくく、そのままになっていました。

最近、家の中の片付けをする中で、改めてそれを見直してみると、不思議なもので読めるのです。一部はやはり解読不能ですが。今、文字起こしをしていますが、子どもの頃の家の状態や学生時代のことなど、初めて知ることばかりです。こうして知ってみると、父の態度や執着など腑に落ちることも出てきました。

新しく出会った人とは、お互いにどのような人生を送ってきたか、折に触れ話をする中で、少しずつ知ることがあります。しかし、親は初めからそこにいる人ですから、こちらからすすんで聞くことはありませんでした。

母の人生も、遺品の中から拾い上げたことを紡いで、ミニ人生史を書きましたが、父の文章を読んで、本人の手による歴史にはかなわないとつくづく思いました。

自分史というのは、人生の終わりが近くなって、人生を振り返って書くもの。という認識が多数かと思いますが、自分の手で書ける時に書くことが大切です。聞き書きもできますが、声に出して聞いてもらいたい人ばかりではないと思います。

「私は子や孫に自分の人生を知ってもらわなくてもいい」「苦労話など思い出したくない」

「お母さんやお父さんがどう生きてきたのかには興味ない」

そんな言葉が聞こえてきますが、親の歴史、自分の歴史の上に今の自分があり、これからの自分がいるということを考えてみるのも悪くないと思います。